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kengo700のダイアリー

誰の役にも立たないと思う情報を発信するブログ

とりとめのないブログ記事は、ラジオのフリートークに似ている

ブログを書くハードルを下げるために適当なことを書く記事です。 特に内容や結論はありません。

はじめに

先週下記の記事に書いた通り、ブログをもっと手軽に書くために、事前調査や校正をほとんどせずに記事を書いていきます。

先週も書いていて思ったのですが、このとりとめのない感じ、話題が発散する点、後から内容を修正しないところが、 ラジオの「フリートーク」や「ふつおた」に似ていると思いました。

ライブ感というのでしょうか。

ラジオにもAM、FMなどいろいろありますけど、ここでは私がよく聞いているネットラジオに限定してみます。ほかのラジオはあまり聞いたことがないのでわかりません。

ちなみに私が最近聞いているおすすめのネットラジオは『浅沼晋太郎・鷲崎健の「思春期が終わりません」』と『洲崎西』です。定番どころですけれど。

ラジオのフリートークでは、パーソナリティが前回の放送から今回の放送までにあったことを話すのが一般的です。それか特にお題を決めない普通のお便り(いわゆる「ふつおた」)を読んで、その内容に関してトークする感じです。

たいていのフリートークでは話題が行ったり来たり脱線しまくって、収拾がつかないこともしょっちゅうです。それでも面白かったりするので、とりとめのないブログ記事も需要があるのかもしれないな、と思いました。

例えば以前に下記の記事に書いたように「分かりやすさは正義だ!」と思っていたのですが、場合によってはそんなことはないのかもしれません。

私がよく書くブログ記事は、伝えたい内容が決まっていて、それを端的に伝えるような文章になっています(実現できているかは分かりませんけれど)。記事を一度書いた後に何度も見直して、不要な文章や言葉をそぎ落としたり、場合によっては大半の部分を書き直したりします。

これはラジオで考えると、あらかじめ作ってある台本をパーソナリティが読む場合(いわゆる「完全台本」)に対応するでしょうか。

フリートーク方式と完全台本方式。これは優劣がつけられるものではなくて、目的が違うだけです。何かを伝えたいのか、それとも雑談がしたいのか。

ただし優劣はないとはいっても、目的に沿わない方法をとるのは不適切なので、やめたほうがいいでしょう。

たとえば何かを伝えたかったり解説したかったりするときにフリートーク方式にしてしまうと、話題が発散したり、余計なことを書いたりして、何が言いたいのかわからないブログ記事になってしまいます。

最後まで読んでも、「結局こいつは何が言いたいんだ?」という内容。 そういうブログ記事ってありますよね?

逆に、日記的なブログ記事を書くときに完全台本方式にするのも不適切です。ラジオでも必要ないところまで完全台本だと、くそつまらない番組になったりします。私はフリートーク方式が苦手で、これまで完全台本方式のブログ記事しか書いてこなかったので、気を付けないといけません。
 

私がなんでフリートーク方式が苦手かといえば、単に脳直で情報を発信する経験があまりないのもありますけど、フリートーク方式の場合は面白さがセンスに直結するからでもあります。

ラジオのフリートークは、めちゃくちゃ面白い番組と、くそつまらない番組がありますよね。 あれはもうセンスの違いとしか言いようがない気がします。 もちろん技術をつければある程度無難にフリートークを回せるようにはなるでしょう。しかし、突出して面白いものは生み出せません。

これはブログも同じです。
 

もちろん、つまらないラジオ番組のパーソナリティが努力をしていないわけではありません。毎日ラジオで話す話題を探してネタ帳を作ったりしてるらしいです。しかし同じネタであっても、どう表現するかによって面白さが全然違ってしまいます。

これもブログと同じですね。
 

最後に、もちろんフリートーク形式のブログであっても、最低限のチェック(誤字脱字の修正など)をしなくてもいいわけではありません。 ラジオだって、噛んでしまったら間を取ってやり直して(いわゆる「編集点」)、編集によって切り貼りしたりしますよね。

生放送だったら別ですけれど。

おわりに

「アニスパロス」がまだ治らない。