『嫌われる勇気』という本を読んで考えたことをメモしておきます
はじめに
今さらながら『嫌われる勇気』を読んでみました。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/16
- メディア: Kindle版
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読んだ感想は、「内容については大部分に同意するけど、そもそもあんまり理解できていないので何回も読み直す必要がある」です。
まだ一度読んだだけで理解できていない部分も多々ありますけど、気になった部分について、特に「目的論」について現時点の考えを書き残しておきます。
『嫌われる勇気』は「アドラー心理学」についての書籍であり、その中で「目的論」という考え方が出てきます。これが、一般的に知られている「原因論」と真逆の考え方なので衝撃的な内容になっています。
しかし Amazon のレビューを見ると目的論について誤解されている方もいるようなので、そのことについて書いてみます。
※私の方が誤解している可能性も高いので鵜吞みにしないでください。
目的論について
下記の Amazon のレビューでは、「うつ病になったことをアドラー流の目的論で考えて無理をした結果、うつ病が悪化してしまった。だからこの本に書かれていることは万能ではないのだ」と主張されています。
このレビューに書かれている「うつ病」という状況を、原因論と目的論で解釈すると下記のようになります。
- 原因論
- 小学校のころに母が死去し、父に虐待を受けたため、うつ病になってしまった
- ※過去の原因があって、それにより現在の結果がある
- 目的論
- 社会に出るのが怖いからうつ病になったのであり、その理由として母の死と父からの虐待を利用している
- ※現在の目的があって、その目的にかなう過去を見つける
原因論のほうが納得しやすく、目的論のほうは「お前は何を言ってるんだ」状態ですけれど、よく考えるとそうでもないのです。
まず、これは科学ではなくび哲学の話なので、「正しいかどうか」ではなく、「どう解釈するか」「どう考えるか」「どう観測するか」「どう見なすか」が重要です。
もっとも、科学的に考えても原因論の方が正しいとは言えません。 もっと他の原因、例えば「本人もショックで忘れてしまっている別の原因から」「自覚症状のない病気により体力及び精神力が奪われているから」「料理に毒が盛られていたから」「宇宙人に洗脳されてしまったから」といった原因も、ないとは言い切れません。 そもそも人間の認識にはバイアスがかかりますし、記憶もねつ造されうるものです。 「根拠が曖昧なのに、納得できるから正しい」は科学ではありません。
話を戻して、ここでは正しいかどうかは関係ないという前提があります。
それを踏まえて、アドラー心理学の目的論が何を言いたいかといえば、
「オレが変えられない過去や他人のせいにしてもどうにもなんねーじゃん。それよか今のオレのせいにしたほうが、変えられる分だけマシなんじゃねーの?」
ということです。たぶん。
原因論で考えると、過去や他人のせいなので楽ではあるけれど、問題を解消することはできません。 目的論で考えると、自分のせいになって苦しくはあるけれど、問題を解消することができる可能性がでてきます。
そう解釈したほうが建設的である、というだけの話です。
そしてアドラー心理学では、「その問題は全部自分のせいなのだから、勇気を出して何とかしなければならない」なんてことは言っていません。 先のレビューに書かれているような「だからこそ勇気を出してやるんだ」なんてことは書かれていません。
そもそも「うつ病になった」「それは自分のせいだ」という前提があったとして、なぜ「勇気を出してやるんだ」という結論になるのでしょうか?
なぜ「勇気を出して治療するんだ」「勇気を出して助けを求めるんだ」「勇気を出して逃げるんだ」とならないのでしょうか?
おわりに
「じゃあどうすればいいのか」については、『嫌われる勇気』を読んでください。
私も理解できてないので、読み直してきます。
でもたぶん、うつ病のひとに必要なのはアドラー心理学ではなく治療だと思います。