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kengo700のダイアリー

誰の役にも立たないと思う情報を発信するブログ

メインブログの500アクセスよりサブブログの50アクセスのほうが嬉しい

メインブログとサブブログの二つのブログを続けてみて、メインブログの500アクセスよりサブブログの50アクセスのほうが嬉しいと感じたことについて書き記すための記事です。

はじめに

私は今年の初めにブログを始め、そして10月にこのサブブログを立ち上げました。 なぜブログを分割したのかについては下記の記事に書いた通りです。

このサブブログも少しずつアクセス数が増え、たまに50アクセス/日を超えるようになってきて嬉しく感じています。しかしそう言えば、メインブログの方はコンスタントに500アクセスを超えているのにもかかわらず、それほど心が動かなくなってきていることに気付きました。

メインブログの方を立ち上げた頃のことを思い返してみると、10アクセスがあったくらいで大喜びで、もし「100アクセスとか1,000アクセスとかあったらどうなってしまうんだ!」なんて思ったような記憶があります。

しかしいざ100アクセスや1,000アクセスを体験してみると、嬉しくないわけではないですけれど、単純に10アクセスの10倍や100倍嬉しいというわけでもありません。

この感覚はなかなか興味深かったので書き残してみます。

なぜ500アクセスより50アクセスのほうが嬉しく感じるのか

なぜメインブログの500アクセスよりサブブログの50アクセスのほうが嬉しいと感じるのでしょうか。

たぶん心理学の素養があれば的確に説明できると思うのですが、私にその素養はないので、とりあえず思いつくものを書いてみます。

実感することができる人数に限界がある

これは何の根拠もない意見なのですが、人間が実感することができる人数には限界があるのではないでしょうか。

例えば私の場合は、学校のクラスの30人程度の人数しか実感を伴って認識することができないようです。

もちろん全校生徒はもっと多かったですし、地方都市とはいえ駅前に行けば数百人を目にすることはできます。しかしそれは「大勢」という認識で、例えば100人と1,000人の違いを正確にイメージすることができません。10,000人となると想像するのも難しくなります。

もっと交友関係が広い人はそれだけ多くの人数をイメージできると思いますし、例えば芸能人や歌手ならば10,000人動員など、かなりの人数を実感することができるのではないでしょうか。

話を戻してブログの場合、例えば「1アクセスの向こうには一人の人間がいるのだから、アクセス数に一喜一憂するのではなく、それぞれの読者を大切にするべきだ」というアドバイスを目にしたりしますけれど、1,000アクセスの向こう側にいる1,000人の人間を想像することはなかなか難しいのではないでしょうか。

そんな膨大なアクセス数がピンとこないというか、実感できないのです。

慣れてしまう

認識できる人数に限界があると仮定しても、500アクセスより50アクセスのほうが嬉しい理由は説明できません。

これは単純に、メインブログのアクセス数に慣れてしまったのだと思います。

他の欲望と同じように承認欲求にも果てが無いようで、同じ刺激が続くとそれが当たり前になってしまい、嬉しく感じなくなってしまうようです。

これは「1アクセスの向こうには一人の人間がいる」論で考えるとなんだか不誠実のような気がしてしまいますけれど、そうしないと先に進めないとも考えられます。

今のアクセス数に慣れずに常に新鮮に嬉しく感じられれば幸せかもしれませんけれど、そこで満足して先には進めなくなってしまいます。

人間の適応力の功罪で、初心を忘れないでいるのは難しいようです。

おわりに

人間には初心を忘れない能力はないわけですから、こんなふうに書き残しておくことは大切ですね。