「人々の炎上させたいというエネルギーを適切に発散させる場所を提供するサービス」というアイデアを紹介する記事です。
はじめに
先日、下記の記事を読みました。
これらの記事では、ネット上のトラブル(いわゆる「炎上」)は「正義感」が原因であると見なしているようです。
また下記記事では、ネット上のネガティブな書き込みは日本人の「国民性」のせいであると指摘しています。
私は、これは間違っていると思っています。 ネット炎上の原因は正義感や国民性などではなく、単に人々が疲れているからだと思います。 ネット炎上は、言ってしまえば酒場の愚痴の延長でしかなく、ストレスを発散させたいだけだ、と考えています。
そしてそのような仮定の下で、ネット炎上問題を解決するには炎上させたいというエネルギーを適切に発散させる場所を提供すればいいのではないか、と考えました。
このアイディアを、仮に「炎上ビジネス」「炎上プロレス」と名付けてみます。
- 炎上ビジネス
- サンドバッグとなるキャラクター、炎上しやすい話題、ネガティブなコメントを書き込む場所を提供する
- 炎上プロレス
- 複数のキャラクターが互いを叩き合うさまを、興行として提供する
ネット炎上について
炎上の原因
正直に言えば、ネット炎上の原因が正義感や国民性ではないという確たる根拠はありません。 私はネット炎上の専門家ではありませんし、詳しく調べるほど興味もありません。
でも仮に正義感や国民性が原因であるならば、炎上事件が増えたり減ったりするのはおかしいはずです。 日本人の正義感や国民性が数年で変動するとは思えません。
それよりも不景気や少子化問題や長時間労働問題や年金問題などなどの社会情勢によって溜まってしまったストレスを発散させたいから、と考えたほうがしっくりきます。
単純に何かを叩いてスッキリしたいだけではないでしょうか。
この場合は当然ながら、叩く相手に落ち度や間違いがあるほうが望ましいでしょう。 反撃される危険が少ないですし、良心が全く痛まずに済みます。
この結果として、正義感によって叩いているように見えるだけではないでしょうか?
国民性のせいにしていては何も解決しない
さらに、仮にネット炎上が日本人の国民性のせいであったとしても、国民性のせいではないと解釈したほうが望ましいとも言えます。 なぜなら国民性は基本的に不変なものであり、国民性のせいにした瞬間に、その問題は解決不可能になってしまうからです。
これは例えば、長時間労働をお客様のせいにするようなものです。他人や過去など、変えられないもののせいにしたほうが楽で安心ですけれど、問題解決からは遠ざかってしまいます。
これは「アドラー心理学」の「目的論」の考え方です(私は『幸せになる勇気』を読んだだけのニワカなので、間違ってるかもしれません)。
炎上に加担しているのはわずか1.5%
そしてそもそも、下記の研究結果によると炎上に加担したことがある人はわずか1.5%しかいないそうです。
またネット上で非難しあってよいと考えている人も10%程度しかおらず、ほとんどの人はネット炎上に批判的という研究結果が出ているそうです。
それほど加担している人が少ないのですから、ネット炎上が目につくからといって日本人の国民性うんぬんを議論するのは無理があるでしょう。たぶん「2ちゃんねる」と「Twitter」と「はてなブックマーク」を見るのを止めれば、ネガティブな情報はほとんど目に入らなくなると思います。
※上のリンク先は論文なので、硬い文章を読むのが苦手な人は下記の本を読んでみるといいと思います。たぶん論文と同じ著者です(Kindle版が無いので私はまだ読んでいません。そのうち読んでみます)。
- 作者: 田中辰雄,山口真一
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/04/22
- メディア: 単行本
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炎上させたいエネルギーを発散する場を提供するサービス
ネット炎上の何が問題かといえば、対象の人や企業を文字通り燃やし尽くしてしまい、大きな被害を与える点です。
ネット炎上が人々のストレス発散であると仮定し、ストレスの原因である不景気等の社会情勢が簡単には改善できない場合、そのストレスを適切に発散させる場所を提供することが問題解決につながるのではないでしょうか。
炎上ビジネス
「炎上商法」という、炎上を利用して注目や知名度を得るマーケティング手法があります。炎上を手段として用いているわけです。
であるならば、いっそ炎上を目的としてしまうのもありではないでしょうか? 自由にネガティブな書き込みを行うことができる場所を提供するサービスを展開するのです。
これを仮に「炎上ビジネス」と名付けてみましょう。
例えば炎上商法を利用してブログを発展させている人は何人かいますけれど、その火力に耐えて燃え尽きないというのは、並大抵の人間にできることではありません。
そこて炎上対象は仮想のキャラクターとしてしまいましょう。そのキャラクターに、炎上しやすい話題を発信させるのです。そのキャラクターに対する攻撃をライター側が受けてしまわないように、複数人で運用したほうがいいかもしれません。
さらにそのキャラクターが発信する情報や、そこに書き込まれたコメントはフィクションであるとします。 そしてその場所では心をえぐる罵詈雑言こそ価値があるというルールにします(例えばユーザー同士で酷いと思ったコメントに投票する「SNSのいいね方式」や、コメントによる炎上ダメージが蓄積するとキャラクターが非を認める「ソシャゲのレイド方式」など)。 どんな酷いコメントであっても「そういうルールだから、しかたなく書いているだけですよ」という建前を与えることで、炎上への加担をためらう人でも心おきなく書き込むことができるようになります。
このようなサービスを提供すれば、誰も傷つかずに、人々のストレスを発散することができるのではないでしょうか。
炎上プロレス
私は「はてな村」で「手斧」が飛び交うさまを見るのが好きです。
そのようなノーガードの殴り合いを前述した架空のキャラクター同士にやらせて、それを観戦したり加担したりすることもまた、人々のストレス発散につながるのではないでしょうか。
私自身、誰かに手斧を投げつける勇気はありませんけれど、架空のキャラクターに対してなら投げられるかもしれません。
これを仮に「炎上プロレス」と名付けましょう。
手斧の投げ合いをスポーツ化するわけですね。
おわりに
つまり「はてな村」は人々のストレス発散に結構役立っているのかもしれません。
同じくらいの不幸を生み出してもいるでしょうけれど。