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日本の会議は羅列型、欧米の会議は問答型

たいていの日本人は考えて喋っていない」という記事で指摘されている日本とアメリカの会議の違いについて、日本の会議は「羅列型」であり、欧米の会議は「問答型」であるということを補足する記事です。

はじめに

下記の記事で、日本では大抵の人が考えて喋っておらず、このため日本の会議は生産性が低いのだと主張されています。一方、アメリカでは考えるための「黙る瞬間」があるとのことです。

これが本当かどうかは分かりませんが、最近読んだ下記の本の中で日本と欧米の会議の違いが書かれていたのが印象深かったので紹介します。

外国語を身につけるための日本語レッスン

外国語を身につけるための日本語レッスン

日本と欧米の会議の違い

三森ゆりかさんの『外国語を身につけるための日本語レッスン』では、日本と欧米のコミュニケーション形式の違いが説明されています。

この本によると日本のコミュニケーション形式は「座談会」であり、下記のような特徴があるそうです。

座談会では、ある人の発言や質問に対して参加者は答えるでもなく、補足するでもなく、好き勝手に自分の感想や意見や質問を羅列して述べ合います。ワイワイガヤガヤと一見楽しげにコミュニケーションが展開しているかのように見えますが、座談会に参加している当事者ですら、話の展開を理解しているようには見えません。突然話の展開とまったく関係のない話題が飛び出すことがしばしばあり、それが修正されることもなければ、整理されることもないままに、座談会は続いていきます。

一方、欧米のコミュニケーションでは「かみ合った対話」が行われるそうです。

例えば欧米のコミュニケーションでは、「かみ合った対話をする」ことが前提になっています。座談会のように次々に話題が羅列され、話がどんどん横に流れていくことはありません。気楽な話し合いでも、ひとつひとつの事柄について互いに的を射た問答を繰り返し、ある程度の決着を見たら次に進む、という形で話し合いが展開します。

そしてこのような対話の方法が澤田昭夫さんの『外国語の習い方』という本では「羅列型レトリック」、「問答型レトリック」と呼ばれているそうです。

これがどれくらい正しいのかはわかりませんが、とても腑に落ちる話です。日本の会議で行われているのは「議論」ではなく「座談会」なのだと考えると、非常にしっくりきます。

そもそも考えを深めたり答えを見つけるための場所ではないので、考えが深まらなかったり答えが出ないのは当たり前なのです。このような場所に議論を深めようとして参加してしまえば、「日本の会議は全く時間の無駄だ!」と思うのも当然です。

諦めた方がいいんじゃないかな

会議の話だけでなく、『外国語を身につけるための日本語レッスン』に書かれていることが本当だとすれば日本人と欧米人の考え方の違いは絶望的に大きく、生産性が低いからといって簡単に変えられるものではないのだと感じます。

そして文化の違いは根深く、「一つの文化に染まった人間が他の文化を正確に観測することができるのか?」、「自分の文化に違和感を覚えたとして、それが他より劣っているのか単に好みの問題なのかを判断できるのか?」などと考えると、日本の方法はダメだから変えようと断じるのも浅慮のように思えます。

それは例えば「米食」と「パン食」の違いのようなもので、簡単に優劣が付けられるものではなく、また変えるとしても何十年も掛かってしまうでしょう。

「郷に入っては郷に従え」と言いますが、もともと自分がいる郷の文化に納得がいかないからといって、文化を変えるよりは順応するほうが賢い選択なのかもしれません。

おわりに

まあそんな賢い選択ができないから、苦しむんですけれど。